諫早市民憲章
一、緑と花でつつみ美しい●●●●
●●●●まちをつくりましょう●●
一、公害や交通事故をなくし●●●
●●●●●安全なまちをつくりましょう
一、会合の時間を守りきまりの●●
●●●●●正しいまちをつくりましょう
一、老人をうやまい子どもの●●●
●●●●夢をそだてましょう●●●
一、元気で働き明るい●●●●●●
●●●●まちをつくりましょう●●
●●●●●●●●●諫早市長 野田次三●●●
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眼鏡橋の由来
●ここは、郷土諫早の象徴として市民に親しまれてきた、名橋●
眼鏡橋(二連拱式石橋)が本明川の清流にその優美な影を宿し●
ていたところである。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
史によれば、本明川は幾度かの大洪水で橋のすべてが流失す●
るので、時の十二代領主諫早茂洪が永久不壊のものを造りたい●
と、熟慮硬球の結果、一年有半の歳月と銀三千貫の資材を投じ●
て、天保十年(一八三九年)近隣にその比をみない二連拱石橋●
(アーチ型)を完成したのである。●●●●●●●●●●●●●
●ところが、昭和三十二年七月(一九五七年)未曾有の大洪水●
は諫早全域をおそい、おびただしい流木は眼鏡橋に激突し、水●
流を阻止したため、濁流は両岸から市街地に流入し、幾多の人●
命と財産を失ったのである。こうした大自然の圧力にもめげず●
眼鏡橋は毫もゆるむことなく、不壊の石橋として厳然とその名●
を完うしたのである。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●まもなく本明川の改修工事が国の直轄で施行されることとな●
り、眼鏡橋は撤去のやむなきに至ったのであるが、昭和三十三●
年十一月重要文化財の指定をうけ、現在地から四五〇米上流の●
諫早公園内に、昔の姿そのまゝに移築復元を完了したのである。
市民に親しまれてきた歴史的大石橋、眼鏡橋の名にちなんで●
再び、この橋を眼鏡橋と命名する。●●●●●●●●●●●●●
●昭和四十一年三月 竣功●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●諫早市長 早川員●
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