●●●●「長崎年表」は編集著作権で保護されます
●●●● (c) 2003-2013 makuramoto all right reserved.


鎌倉以前 室  町 安土桃山
(1)
安土桃山
(2)
江戸(1) 江戸(2) 江戸(3) 江戸(4) 江戸(5)
江戸(6) 江戸(7) 江戸(8) 江戸(9) 江戸(10) 江戸(11) 江戸(12) 江戸(13) 江戸(14)
江戸(15) 江戸(16) 江戸(17) 江戸(18) 明治(1) 明治(2) 明治(3) 明治(4) 明治(5)
明治(6) 明治(7) 明治(8) 明治(9) 明治(10) 大正(1) 大正(2) 大正(3) 昭和(1)
昭和(2) 昭和(3) 昭和(4) 昭和(5) 昭和(6) ・昭和(7) 昭和(8) 昭和(9) 昭和(10)
昭和(11) 昭和(12) 昭和(13) 昭和(14) 昭和(15) 昭和(16) 昭和(17) 昭和(18) 昭和(19)
・昭和(20) 昭和(21) 昭和(22) 平成(1) 平成(2) 平成(3) 平成(4) 平成(5) (表 紙)

 前のページへ


〈昭和時代(13)〉

1957(昭和32)【昭和】 丁酉(ひのととり)

  《総理大臣》[第55代]石橋湛山(→02/25)、[第56代]岸信介(02/25→)
  《知事》[第41代(公選3代)]西岡竹次郎
  《市長》[第19代]田川務

  01/長崎バス(株)が田上営業所を開設
  01/29南極観測船「宗谷」に乗った第1次南極観測隊53人が東オングル島に到着。上陸し昭和基地と命名する
  02/24北極横断(北回り)航空路が開設される
     第1号の「地球特急号」(DC7)が羽田からコペンハーゲンへむけて飛び立つ
  02/大浦6番館の旧英国領事館が長崎市教育研究所に
     1957(昭和32)04/01長崎市児童科学館が開設
  02/長崎バス(株)が崎戸営業所を開設。最果ての離島路線、大島〜崎戸線が開通
     1960(昭和35)10/崎戸営業所を廃止、大島に大島営業所を開設
     1969(昭和44)05/大島営業所が出張所に。瀬戸営業所の管轄となる
  03/13小説「チャタレイ夫人の恋人」のわいせつ裁判で最高裁判所による上告が棄却
     訳者の伊藤整と版元の小山書店社長に対し有罪が確定する
     小説「チャタレイ夫人の恋人」はイギリスの作家D・H・ロレンスのの作品
  03/21長崎市国際文化会館附近一帯を会場にして「第14回全国菓子大博覧会」が開催。入場料20円
     松山町長崎市競輪場横敷地1万5千坪に700万円を投じて奥行200米、幅15米の会場が建つ
     会場には全国の菓子屋が腕によりをかけて作った菓子約1万2千点がズラリと陳列
     菓子博覧会は菓子の祭典として、ほぼ4年に一度、全国の各地を回って開催
     その地域の菓子屋がつくる菓子工業組合が主催し、地方自治体もバックアップする大きなイベント
     菓子博覧会のはじまりは1911(明治44)の「第1回帝国菓子飴大品評会」にさかのぼる
     戦争により一時中断するが、「全国菓子大博覧会」と名称を変え、全国の菓子屋の熱意で復活
     会場では全国から菓子が集められ展示、即売。また菓匠により作られた工芸菓子が披露される
     優秀な作品には皇族による総裁賞、内閣総理大臣賞、農林水産大臣賞などが授与
     全国菓子大博覧会での受賞は菓子業界の中でも最高の栄誉とされる
       名誉総裁/高松宮宣仁親王殿下、高松宮喜久子妃殿下
       名誉副総裁/神田博(厚生大臣)、馬場元治(元建設大臣/衆議院議員)
       総裁/井出一太郎(農林大臣)
       副総裁/西岡竹次郎(長崎県知事)、田川務(長崎市長)、
        森永太平(全国業界代表)、北本兵次(全国菓子協同組合連合会代表)
       会長/伊藤辰蔵(長崎県菓子協同組合理事長)
     大会4日目の24日(日)は快晴で入場者数が10万人に達する勢いで、警察が出動するほどの混雑となる
     03/30盛況のうちに閉会。延べ入場者は60万人
  03/22南高来郡神代村が国見町に編入される
     1961(昭和36)11/03南高来郡有明村に町制が敷かれ有明町となる
  03/29長崎市議会が犬の放し飼いを禁止する全国初の畜犬取締条例を可決
     畜犬の放し飼いなどを規制することで環境衛生の向上と市街の美化を図るため、全国に先駆け制定
     違反者は拘留または科料に処される
  03/29長崎市議会で犬の放し飼いを禁止する全国初の畜犬取締条例を可決
  03/31原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が公布
     被爆者の健康診断、治療費の無料化
  03/31西彼杵郡西海村と瀬川村が合併し西海村となる
     1959(昭和34)01/15西彼杵郡村松村の一部が時津町に編入される
     西彼杵郡長浦村と村松村の一部が合併し琴海村となる
  03/31南松浦郡樺島村(樺島)が福江市に編入される
     11/01南松浦郡久賀島村(久賀島)が福江市に編入される
  04/01大浦6番館の旧英国領事館が長崎市児童科学館として開設
     1993(平成05)04/28長崎市野口彌太郎美術館に
  04/01売春防止法が施行
     1958(昭和33)04/01売春防止法の罰則適用が開始され、長崎丸山の花街より赤線の灯が消える
  04/14稲佐山登山道路が開通
     1963(昭和38)04/03稲佐山の新登山道路が開通。勾配が緩く急カーブも少なくなる
  04/20長崎自動車の長崎遊園地「福田子供遊園地」が開園
     1996(平成08)08/31閉園
  04/20西脇道夫が思案橋から少し登った丘の上に医療法人志仁会西脇病院を開設。定床56床
     1970(昭和45)定床260床となる
     1999(平成11)11/29新築病楝が完成
     1階に外来とデイケアセンター。2階に精神科急性期・重症楝
     3階にストレスケア病楝。4階にレストラン。最上階の5階に医局・研修室など
     レストランはセルフ形式。患者にもスタッフにも好評
     また従来の旧病楝のうち2つを療養病楝に改修、渡り廊下で新築の建物とつながる
     2000(平成12)03/すべての新改築工事が完了。新生「西脇病院」が誕生
  05/01長崎市立小学校児童数が4万6837人に。前年比7.2%増。2部制授業は継続
     1958(昭和33)05/01市立小学校児童数が5万0764人に。前年比8.4%増。2部制授業は15校に
  05/08コカ・コーラの一般販売が開始される
  05/29小浜〜雲仙間の有料道路「雲仙道路」が完成←あり
     06/05小浜〜雲仙間の有料道路「雲仙道路」が供用を開始
     1960(昭和35)雲仙〜島原間の有料道路「島原道路」が完成
     1973(昭和48)04/01小浜〜雲仙〜島原間の有料道路が無料開放され国に移管、一般国道57号となる
     有料道路「雲仙道路」、有料道路「島原道路」
  06/01長崎原爆病院の起工式がて片渕町の旧ABCCモーター・プールにて挙行
     1958(昭和33)05/20開院式を長崎東高体育館で挙行、直ちに診療を開始
  06/02夏ダイヤで「欧州横断特急」(TEE・Trans Europ Express)の運行が開始される。1日1往復【06/07】
     西ドイツ国鉄、フランス国鉄、イタリア国鉄、スイス連邦鉄道、オランダ国鉄によって共同運行
     飛躍的に発展する航空網に対抗し、各国の鉄道当局が連合して登場させた豪華ビジネス特急群
     ディーゼル車両1等車のみの編成の投入で統一規格のもとでネットワークを形成しスピードアップを図る
  06/06博多〜京都の客車特急「かもめ」の客車を10系客車に置き換え。香椎線、勝田線での客車の方向転換が廃止となる
     蒸気機関車をC57形からC59形に変更
     1958(昭和33)10/01列車番号を202レ、201レに変更
  06/11小学校区ごとに被爆者健康手帳の交付申請書の受付が開始
     32年度の交付数は6万6882人
  06/25日本飲料工業株式会社が設立。日本で「コカ・コーラ」の製造販売を開始
  06/長崎市役所望楼が1954(昭和29)11/16の消防庁舎完成により取り壊される
     1914(大正03)12/25庁舎建設の際に設置、火の見櫓として、また時を告げるサイレンとして親しまれた
  06/流感で小学校17校、中学校7校、高校4校が休校
  07/01長崎市立市民病院が総合病院の承認を受ける
     1962(昭和37)01/新館増築工事完成。鉄筋コンクリート造4階建て、工費6035万円
  07/16原爆児童映画「長崎の子」が国際文化会館で試写
  07/16雲仙ロープウエーが開業(仁田峠・妙見岳ロープウエー)
  07/19浜屋デパートの第2期増改築工事完工式。長崎初のエスカレータ登場
     木造建て1、2階を鉄筋コンクリートに改築、3、4、5階を増築
  07/19加藤久邦による第1回加藤ユニークバレエリサイタルが開催
     場所/出島・三菱会館、開演/6時30分、入場料/80円
     1962(昭和37)06/02・03長崎市公会堂が落成。こけらおとし公演に加藤久邦が出演
  07/20特急「あさかぜ」のセクショントレインとして博多〜東京に臨時客車特急「さちかぜ」を新設
     下りは「あさかぜ」の30分後発 上りは「あさかぜ」の30分前発
  07/25九州西部に梅雨前線が居座り、雷を伴う断続的豪雨が県下一帯を襲う
     日雨量1109粍、時間雨量144粍を記録した集中豪雨による水害。本明川が決壊
     午後10時、諫早市内の本明川の堤防9か所が決壊、市内は2〜4米も水位が上昇、濁流は中央地区を翻弄
     氾濫と山津波で死者、行方不明者が539人。家屋全壊244戸、家屋半壊913戸、家屋流出240戸
     被災者4万人、市民6万5千人のうち約6割が被害を受けた
     【死者行方不明781人、負傷者3554人、家屋の全壊・流失5700戸、半壊7087戸、床上・床下浸水5万5005戸】
     07/28長崎、熊本、佐賀、鹿児島、宮崎県の死者、行方不明者が992人に
     県内の被害は島原市、南高来郡、北高来郡に及び死者、行方不明者が815人に達する
     07/28熊本、佐賀、鹿児島県にも被害が及び負傷者3860人、家屋全半壊2086戸、家屋流失469戸
  07/26諫早島原地方大水害で島原鉄道、諫早〜島原の線路100数10箇所で分断
     鉄橋流出45など、全線に渡り被害を受け、列車、バスともに運行不能、直接の被害額だけで1億3千万円
     09/1855日ぶりに鉄道全線が仮復旧、開通
  07/27飽の浦〜立神の道路第1期工事が完成し全長1394米、幅員8米の道路が開通
  07/コロムビアから美空ひばりの歌による「長崎の蝶々さん(A2824)」が発売される
     作詞作曲は米山正夫
     東宝製作の映画「大当り三色娘」の主題歌。美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの3人が共演
     「大当り三色娘」は同じく3人が共演する東宝の「ジャンケン娘」に続くもの
  08/寺澤憲三の個人経営により資本金200万円で西海建設が発足
     寺澤憲三は長崎県土木部勤務中に習得した経験を生かし土木工事業を営む
     1965(昭和40)04/組織変更し株式会社長崎西海建設に
     1971(昭和46)09/本社を長崎市樺島町6番5号に移転
     1982(昭和57)04/本社を長崎市興善町2番8号に移転
     1994(平成06)01/社名を(株)西海建設に変更
  08/引揚として活躍した「興安丸」が東洋郵船に譲渡、東京湾周遊船として人気を博す
     1970(昭和45)10/広島県三原市木原町沖にて解体
  09/20市内の中央商店街浜町に戦後復興の象徴として
     幅6米、軒高7.6米、全長360米余の濱市商店連合会アーケードが完成
     06/09に起工、総工費3797万円、九州で3番目
     1963(昭和38)12/09浜市アーケードのがテラゾー(人造大理石)舗装される。九州では2番目
  09/29市営交通船の金鍔航路を廃止
  10/01寄合町1-2に丸山公園(1209平方米)が、新地町1500-1他に湊公園(2117.19平方米)が開設
  10/01臨時特急「さちかぜ」が混雑緩和を目的に定期化。長崎〜東京に運転開始
     所要時間20時間40分・特急「富士」以来13年ぶり、戦後初の乗り入れ
  10/01蒸気機関車C57形100号機が特急「さちかぜ」の開設初日、長崎発上り第1号列車の先頭を飾る
     1961(昭和36)04/19基山→佐賀でお召し列車を牽引
     04/23大村→長崎で、04/26長洲→博多で、それぞれお召し列車を牽引
  10/04ソ連のバイコヌール宇宙基地から世界初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられる
     科学技術的に大きな成果があげられる。重量は83.6瓩
     1958(昭和33)01/04大気圏に再突入し消滅
     電池の寿命は3週間だが、その後も軌道周回を続ける。打ち上げから92日後のこと
     のち米ソの宇宙開発競争が開始され、冷戦期の政治状況にも影響を与える
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (1)…丸山町(本踊・段尻)、樺島町(太鼓山)、八幡町(本踊・山伏道中)、
     麹屋町(本踊・祭人形車)、万屋町(鯨潮吹き)、西浜町(龍船・本踊)、銀屋町(本踊)、諏訪町(龍踊)
     *出場辞退…船津町、本博多町、平戸町
     蛇踊の表記が龍踊に変更
     御旅所が大波止に変更
  10/10南山手の旧グラバー住宅の建物と4805平方米の土地が三菱長崎造船所から長崎市に寄贈
     1958(昭和33)04/01グラバー邸が有料観光施設となる
     園内入口に無人ボックスを設置、入場者の良識により料金を徴収
     1963(昭和38)04/01料金の徴収を無人ボックスから切符制に改め、入場券発売所を開設
  10/24十八銀行が住吉支店を開設
  10/業容の競合回避と経営効率化のため、橋本商事株式会社(旧株式会社橋本商会古鉄部)が株式会社橋本商会を合併
     新生株式会社橋本商会(資本金3千600円 社長/橋本和太八)となる
     1966(昭和41)08/油屋町に地上5階地下1階の総合ビルを建設
  11/01湊公園が再整備。一般に開放
  11/01南松浦郡久賀島村(久賀島)が福江市に編入される
     11/03南松浦郡奈留島村(奈留島)に町制が敷かれ奈留町となる
  11/03南松浦郡奈留島村(奈留島)に町制が敷かれ奈留町となる
     2004(平成16)08/01南松浦郡奈留町(奈留島)、富江町、玉之浦町、三井楽町、岐宿町、福江市(福江島)が合併
     福江市となる      樺島、久賀島も福江市に含まれる
     若松町(若松島)、上五島町、新魚目町、有川町、奈良尾町(中通島)が合併し新上五島町となる
  11/11日本学術会議、日本植物学会が県立長崎図書館の門前にツュンベリーの功績を記念し碑を建立、除幕式を行なう
     ツュンベリーは1775(安永04)に植物採集のためアジアへ赴き、オランダ商館医として来日
     ツュンベリーはスウェーデン人で植物学者
     2か年滞在し、日本の植物を研究、多くの日本人に西洋科学、医学や博物学を教える
  12/17上野動物園にランゲル式(懸垂型)のモノレール、上野懸垂線が開業。日本初、世界でも2例目
     園内の遊戯施設ではなく東京都が運営する鉄道事業法に基づく交通機関として
     動物園と不忍池のあいだ300米の区間を約1分半で結ぶ
     走行車輪には日本の鉄道で初めて空気タイヤが採用される
  12/コロムビアから島倉千代子の歌による「島原の子守唄(A2932)」が発売される
     採譜は島原鉄道に勤務する宮崎康平、編曲古関裕而
     1959(昭和34)ビクターのLP「夜の詩集」に森繁久弥の歌で収録される
     1960(昭和35)01/キングからペギー葉山の歌により「島原地方の子守唄(EB267、BS1254)」のタイトルで発売
     全国に知れ渡る
  12/日本ヘリコプター輸送株式会社が全日本空輸株式会社に商号変更し、極東航空の路線運営を引き継ぐ
     極東航空は1952(昭和27)12/26関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立
     大阪を拠点に大阪〜四国・大阪〜九州など西日本方面の航空路線を運営
     1958(昭和33)03/同じくローカル線を運航していた極東航空を合併、完全に統合する
     初代社長には元朝日新聞社役員で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任
  なべ底景気
  長崎造船株式会社が以西底曳網漁船、旋網漁船を主体に船舶の建造に着手
  万屋町に佐賀銀行長崎支店が開店
  都市計画で県庁から市役所へのグリーンベルト完成とともに興善町に伊勢屋旅館が新築開業
     経営は橋口イセ。女将がその人柄を以て誠実そのものの経営で築いた旅館。一般団体のみで学生は受けない
  1927(昭和02)生まれの田端末義が船大工町の大徳園上り口に旅館大徳荘を新築創業
     田端末義は復員後、思案橋上の料亭松亭のとなりで食堂角よしを営み、角よしから旅館の経営に転じる
  山田奈良尾が油屋町に山田屋菓子店を開業
     山田屋は長崎のカステラ屋の中でも小さな店だが、焼いているカステラは一級品のトップ
     山田奈良尾は1919(大正08)天草苓北町生まれ
     16才で長崎にでて稲佐橋の通りにある宝来屋で菓子を修業。修行に堪えながら長崎一の菓子職人になろうと励む
     のち、兵隊にとられ南方の野戦病院の軍務につき終戦で無事復員
     医大前の山木屋菓子店で職人として働き1957(昭和32)独立する
  九州商船が島原外港を海上交通の拠点に三角航路を開設
     1964(昭和39)カーフェリーの運航を開始
     1975(昭和50)頃毎日10数往復、年間の利用客は125万人にのぼる最盛期に
     のち普賢岳噴火災害や新たな熊本〜島原間の航路開設などにより利用客は激減。九州商船が撤退の意向を示す
     1999(平成11)04/熊本、島原双方の地元が航路存続を要望し
     のち初年度は10〜12万人の利用があったが年々減少。半数以下の約5万人まで落ち込む
     加えて燃料費の高騰もあって経営の見通しは立たない状況で、累積赤字は 約1億5千万円に
     2006(平成18)07/03地元自治体などに支援を求めていたが助成は得られず、廃業を決断。運輸局に廃業届 を提出
     2006(平成18)08/29島原〜三角間の運航が終了、廃止となる
  西肥自動車が佐世保カントリークラブを開業
  本村重一が島原市中堀町中央市場内にジンギスカン料理の「よしみ」を開店
     本村は1906(明治39)有明町生まれ
     ひところ3千頭の羊を飼い日本一といわれた有明綿羊の育ての親で、羊一筋全国をまわる
     1967(昭和42)白土湖畔に川魚料理、とり料理を供する店を開店
  西城山小学校、高尾小学校が新設
  一口香総本家榎純正堂の本店が浜町商店街内に移転
  三和町から高島町まで延長5瓩の画期的な海底水道ができる

1958(昭和33)【昭和】 戊戌(つちのえいぬ)

  《総理大臣》[第56代]岸信介(→06/12)、[第57代]第2次岸信介内閣(06/12→)
  《知事》[第41代(公選3代)]西岡竹次郎(→01/14)、[第42代(公選4代)]佐藤勝也(03/02→)
  《市長》[第19代]田川務

  浦上天主堂の再建着工を知った原爆資料保存委員会が廃虚は貴重な資料とし保存を要望
     残すか壊すか世論も揺れ山口愛次郎司教を中心に検討し廃虚の取り壊しはやむを得ないと結論
     のち保存委員会が再度保存を申し入れ、市議会でも取り上げられる
     02/18長崎市議会が元浦上天主堂を原爆資料として保存すること要望
     廃虚全てを移築することは資金的、技術的に困難であるとし側壁一部を原爆中心地に移築保存することで決着
     1958(昭和33)04/14ハンマーによる人力取り壊し作業がはじまる
  01/04ソ連の世界初の人工衛星スプートニク1号が役目を終え大気圏に再突入し消滅
     電池の寿命は3週間だが、その後も軌道周回を続ける。打ち上げから92日後のこと
     のち米ソの宇宙開発競争が開始され、冷戦期の政治状況にも影響を与える
  01/05市の条例により18才未満のパチンコ店出入りが禁止に
  01/11新松ケ枝橋が架かる。長さ12.8米、幅員16.6米のコンクリート橋
  01/丸山町の遊廓角海老が売春禁止法施行前に女性従業員の身の振り方を決め、旅館に転業
     過去の未練を断ち明るい経営に切り替える
     角海老は遊廓・角油屋として明治の初めに創業
  01/浜町の梅月堂本店が個人経営より法人組織に変更。資本金100万円で、有限会社梅月堂を設立
     1983(昭和58)09/組織変更により、株式会社梅月堂を設立
     長崎県多良見町市布名字尾上1530に工場新設
  02/08日本劇場を運営する東宝が音楽カーニバル第1回「日劇ウエスタン・カーニバル」を開催する
     興行は14日までの1週間。観客動員数は初日だけで9500人、1週間で4万0522人を記録
     ドーム球場や日本武道館など、大きなハコモノが存在しない1950年代当時としては異例の記録に
     のち以後、定期的に開催される
     1950年代のロカビリーのブーム、1960年代後半のグループ・サウンズブームの象徴的なフェスティバルとなり、連日超満員に
     のちグループ・サウンズブームの終焉とともに客足も遠くなる
     1970年代は主にジャニーズ事務所やスクールメイツのタレントをメインとしたアイドルショーに
     1973(昭和48)05/第49回「日劇ウエスタン・カーニバル」が開かれる
     05/04「フォーリーブスショー」
     05/05、06「郷ひろみショー」
     05/07、08「ヤング・アイドルショー」
     1975(昭和50)08/第54回「日劇ウエスタン・カーニバル」が開かれる
     08/26「キャンディーズ・ショー」
     08/27「ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」
     1977(昭和52)08/第57回をもって幕を閉じる
     実際の公演回数は全56回。カウントミスにより1回多く57回公演したことに
  02/24ラジオ東京(KRTV、現TBS)で国産初のテレビ映画「月光仮面」の放送がはじまる
     川内康範原作のテレビ冒険活劇番組。日本初のフィルム制作による国産連続テレビ映画
     1959(昭和34)07/05最終回。全5部全130回
  03/03富士重工業からスバル360セダン、通称「てんとう虫」が発売される。価格は42万5千円
  03/05午前10時25分(中休み)ごろ、小島小学校から出火
     東側木造2階建校舎が全焼。1908(明治41)の12教室と1949(昭和24)の4教室
     1861人(1907人?)の児童数はかねてからの避難訓練と手際のよい先生たちの誘導で玉木グラウンドに避難。全員無事
     03/10授業再開
  03/07大浦町の九州製菓の煙突が解体される
  03/09山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号のトンネル「関門国道トンネル」が開通
     長さ3461.4米 (うち海底部780米)、地底最深部はマイナス約56米
     建設従事者延べ450万人、殉職者53人、総工費57億円
     2層になっており上段は対向2車線の車道、下段は780米の人道
     車道距離は3461米、うち海底部分780米。人道距離は780米
     人道のある海底トンネルは世界初
  03/15売春防止法施行を前に県下の席貸し業479軒がいっせいに廃業
     市内では丸山、寄合、稲佐、出雲町の遊廓102軒に女性420余人
      業者は旅館45、小料理店27、貸間13、キャバレー2、料亭2…などが風俗営業へ転業
     従業婦のうち帰郷212、結婚48、残り160人は落ち着き先もなく更生が問題に
  03/29夜、長崎市庁舎市議会事務局付近より出火。2階の大半を焼失
     のち全館が建て替えられる
  03/31宝町200に宝町公園(1617平方米)が、文教町2400に文教公園(1443.23平方米)が開設
  03/長崎大学医学部附属病院諫早分院を閉鎖
     1865(昭和33)06/新興善小学校の外来診療所を本館に復帰
  03/野母商船が長崎(時津)〜西海橋〜佐世保(鹿子前、九十九島)の観光航路を開始
  売春防止法施行前市内の席貸業102軒、従業婦420人
  03/全日本空輸株式会社が同じくローカル線を運航していた極東航空を合併、完全に統合する
     極東航空は1952(昭和27)12/26関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立
     大阪を拠点に大阪〜四国・大阪〜九州など西日本方面の航空路線を運営
     初代社長には元朝日新聞社役員で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任
  04/01売春防止法施行。全国で約3万9千軒、従業婦12万人が消える
  04/01売春防止法の罰則適用が開始され長崎丸山の花街より赤線の灯が消える
     丸山・寄合の花街は明治以後も存続するが廃止
  04/01グラバー邸が有料観光施設となる
     園内入口に無人ボックスを設置、入場者の良識により料金を徴収
     1963(昭和38)04/01料金の徴収を無人ボックスから切符制に改め、入場券発売所を開設
  04/01去年の売春防止法が施行に続き売春防止法の罰則適用が開始され、長崎丸山の花街より赤線の灯が消える
  04/01西城山小学校と高尾小学校が開校
  売春防止法施行後業者は旅館45軒、小料理店27軒、貸間13軒、キャバレー2軒、料亭2軒に転業
     従業婦のうち212人は帰郷、48人は結婚、残り160人は落ち着き先がなく問題に
  04/01壱岐郡郷ノ浦町の一部が石田村に編入される
     1961(昭和36)04/01壱岐郡芦辺町の一部が石田村に編入される
  04/07戦後初の国際観光船カロニア号(3万4100瓲)が観光客932人を乗せ長崎に入港
     ペーロン競漕、龍踊りなど歓迎行事を楽しむ
     04/07夜11時神戸に向け出港
  04/10長崎水産会館が長崎駅横に完成。地下1階、地上7階、塔上3階建、総ガラス張り
     水産業から代議士となった金子岩三郎がビルの6、7階をニュー長崎ホテルとして開業
     営業の取締支配人は原岡善次、総務関係は宮本栄太郎
     長崎駅前で山々と青い港を見晴らしスマートな経営を行なう
  04/10阿蘇山の登山バスの終点阿蘇山西駅から火口縁の火口西駅まで阿蘇山ロープウェーが営業を開始
     阿蘇山のカルデラ山頂にかかる世界初の活火山に架けられたロープウェー
     大型のゴンドラリフトは91人乗り。営業キロ858米、高低差108米を所要時間4分で結ぶ。運行速度3.6米/秒
  04/11島原鉄道が国鉄に乗入れ開始
     長崎直通列車(島原湊〜長崎2往復)の運転開始(ディーゼル化によるスピードアップを進める)
     09/15長崎直通列車が好評で2輌編成に増強
     1959(昭和34)02/20ダイヤ改正
     長崎乗入れ2輌編成の1輌を30分前に先行、各駅停車で途中駅からの利用者の要望に応じる
     1960(昭和35)国鉄の準急(のち急行化)に併結して博多駅までの直通運転を開始
     1980(昭和55)10/01国鉄線への直通運転を廃止
  04/14被爆した浦上天主堂のハンマーによる人力取り壊し作業がはじまる
     1959(昭和34)11/01原爆被災以前の天主堂をモデルに鉄筋コンクリート造りの天主堂が再建。献堂式が挙行
     双塔にあったフランス製の聖鐘の原爆でも壊れずに残ったひとつが、新天主堂の右側の塔につるされる
     床面積1679平方米、塔高29米
  04/16岩屋橋電停前〜住吉終点の道路240米が砂利道からコンクリートに舗装される。全面交通となる
  04/30日中友好協会県支部が浜屋でパートで「中国の切手・紙工芸品展示会」を開催
     常家鎧長崎駐在国府領事が市助役に展示会場の中国国旗を取り除くよう申し入れ
     05/02長崎青年による中国国旗引き下ろし事件が発生
     場所は長崎浜屋催事場で開催中の日中友好協会支部主催の「中国切手剪紙、錦織展」会場
     わずか40坪足らずにケース3台、壁面には各国の訪中代表団との交換風景の写真100余点
     空間処理を考え会場正面に五星紅旗をつり下げていた
     のち国際問題に発展
  04/多比良港と熊本長州港を結ぶ有明自動車輸送船が開通
     450瓲の輸送船2隻が就航。45分で2つの港の間に新航路を開く
  05/01長崎市立小学校児童数が5万0764人に。前年比8.4%増。2部制授業は15校に
     1959(昭和34)05/01市立小学校児童数が5万2067人に。前年比2.6%増
  05/14(株)西海橋遊園地、西海橋遊園地水族館がオープン
     1988(昭和63)閉園、閉館する
  05/20片淵町1丁目13番26号に鉄筋コンクリート造り5階建の「長崎市立長崎原爆病院」が開設
     病床数81床、診療科目8科(内科・小児科・外科・産婦人科・眼科・耳鼻咽喉科・皮膚泌尿器科・放射線科)
     1969(昭和44)04/01長崎市より日本赤十字社へ移管。「日本赤十字社長崎原爆病院」となる
     1982(昭和57)12/12茂里町の新病院に入院患者移送、14日より外来診療開始
  06/01昭和町通りの延長上の浦上川に人道橋の昭和橋が架設される
     長さ22米、幅1.8米、コンクリート造
  06/17長崎市議会が核兵器国内持ち込みに関する決議案を可決
  06/2422時15分、阿蘇山第1火口が突然爆発。噴石は火口の西1.2粁の阿蘇山測候所に達する
     山腹一帯に多量の降灰砂がある。死者12人、負傷者28人、建築物に被害
  06/新興善小学校の長崎大学医学部附属病院外来診療所を坂本町の本館に復帰
  07/11東京発行の「産経時事」が「産経新聞」に改題
     1959(昭和34)大阪発行の「産業経済新聞」を「産経新聞」に改題。東西で異っていた題号が「産経新聞」に統一される
  07/日本貿易振興会(JETRO)が発足
  08/01長崎〜博多に快速気動車の運行開始
     所要時間、上り3時間37分、下り3時間14分、普通列車より約2時間短縮
  08/01東彼杵郡宮村が佐世保市に編入される
     1959(昭和34)05/01東彼杵郡彼杵町と千綿村が合併し東彼杵町となる
  08/01帝国ホテルが日本で初めてビュッフェスタイルの食事をはじめる
     支配人の犬丸徹三が北欧デンマークで体験した料理、スモーガスボードがヒント
     名称を社内公募しバイキングに決定
     「北欧といえばバイキング」という発想
     ホテル脇の日比谷映画で上映していた映画「バイキング」に印象的で豪快な食事シーン
     のちレストランは大変好評を博しバイキングはビュッフェレストランの代名詞となる
  08/10市内局番制を採用し(2)(3)(4)局が誕生。市内の電話が自動化。長崎〜博多が即時通話に
     (2)(3)局は市中心部、(4)局は浦上一帯
  08/16長崎県営バスに長崎市内立神線の免許が交付
     09/01運行を開始
  08/23長崎県が市場開設者、長崎魚市株式会社が単数卸売人として新市場を運営していくことに
     のち1947(昭和22)06/より馴れ親しんだ旧魚市場が長崎青果市場へと転用
  08/25日清食品の「チキンラーメン」が発売を開始
     大阪・梅だの阪急百貨店うめだ本店で試食販売が行なわれる
     チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」に代わり「ラーメン」の呼び名が全国的に広まる
  08/26長崎県立口加高等学校の小浜分校(定時制)が小浜中学校内仮校舎から新校舎(北野)へ移転
     1960(昭和35)04/01長崎県立小浜高等学校に校名を変更。定時制独立校として発足
  09/07引揚最終船「白山丸」が舞鶴港に到着
     13年間にわたり延べ426隻の引揚船が入港
     引揚者66万4531人、遺骨1万6269柱を受け入れる
     引揚者は軍人・軍属48万3040人、一般邦人17万3636人、その他7855人
     引揚船内で59人、舞鶴地方援護局内で360人が亡くなる
     また着の身着のままで101人の孤児がたどりつく
     さらに引揚船は在日中国人・朝鮮人の帰国船の役割も果たし、3万2997人を故国へ送還
     中国へ3936人、朝鮮へ2万9061人
  09/13長崎市議会議場ができる
  09/15島原鉄道からの長崎直通列車が好評で2輌編成に増強
     1959(昭和34)02/20ダイヤ改正
     長崎乗入れ2輌編成の1輌を30分前に先行、各駅停車で途中駅からの利用者の要望に応じる
  09/17長崎県営バスに富津線の免許が交付
     1959(昭和34)01/15運行を開始
  09/千馬町〜常磐町に架かっていた橋長19間(44米)、幅員6間(8米)の鉄製トラス橋の出師橋が姿を消す
     出島地区土地区画整理事業により銅座川が付け替えのため
  10/01客車特急「あさかぜ」が“動くホテル”とはやされた完全冷暖房の20系固定編成客車に置き換え
     特急「さちかぜ」の愛称が「あさかぜ」と紛らわしく、原爆都市長崎を象徴して特急「平和」と改称
  10/01博多〜京都の客車特急「かもめ」の列車番号が202レ、201レに変更
     1961(昭和36)09/30客車特急「かもめ」が廃止。最後の牽引蒸気機関車はC59形7号機
  10/01北松浦郡鹿町(ししまち)町を鹿町(しかまち)町に改称
     1975(昭和50)01/01北松浦郡鷹島村に町制が敷かれ鷹島町となる
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (2)…榎津町(川船)、西古川町(本踊・櫓太鼓)、新大工町(曳壇尻)、
     新橋町(阿蘭陀萬歳)、大波止町(入船祭)、[特別参加]諏訪町(竜踊)
     *出場辞退…寄合町、本紙屋町、磨屋町、大村町、今町、金屋町
     奉納踊りの先頭を務める特権と栄誉を誇った丸山町、寄合町が売春防止法施行により席貸業が廃業、隔年制を返上
  10/18アメリカでの大流行を受けて、日本でも全国一斉にフラフープの販売が開始される
     フラフープは、直径1米ほどのプラスティック製などの素材の輪。輪に入った人が腰などを振って回転させる
     11/長崎市内でも流行
  10/20純国産のステレオレコードが発売される
     アルゼンチンタンゴの名曲を集めた「エルチョクロ」と、長唄「勧進帳」の2枚
  10/岩波書店の岩波写真文庫が「新風土記・京都府」など5冊をもって終刊
     8年半のあいだに286冊が刊行される
     創刊は1950(昭和25)06/20
  11/15日蘭交易350年記念で復元の出島オランダ屋敷が一般公開
  11/27皇太子明仁親王と正田美智子さんの婚約が発表される
     「皇室会議の義を経て、皇太子明仁親王殿下は、正田英三郎氏長女美智子嬢と婚約されることに決定した」と宮内庁が発表
     1959(昭和34)04/10御成婚。皇太子御成婚パレードがテレビで生中継される
     沿道には2人の姿を一目みたいと熱狂的な53万人もの群集が押しかける。日本中がフィーバーしお祭り騒ぎに
  12/01聖徳太子が肖像の1万円札が発行される。初日の発行総額は15億円
     大口取引に利用してもらう。一般の給与には使わないように…とのお達しが大蔵省から各銀行に通達
     この年の大卒事務系の初任給は1万3467円。1万円札の価値は、想像以上に高い
  12/07長崎海星学園の新校舎が落成
  12/23NHK長崎放送局がテレビの本放送を開始(全国で25番目、12/31現在受信契約5969件)
     1966(昭和41)03/20総合・教育テレビのカラー放送を開始
  12/23東京地区の集約電波塔、日本電波塔(東京タワー)が完工、正式オープンする
     自立式鉄塔としては世界最高の333米。総工費28億円
     翌日から一般公開される
  12/26長崎県営バスに木場線の免許が交付
     1959(昭和34)03/05運行を開始
  12/めがねのコクラヤが創業
     2階には長崎初のギャラリーを備える
  県庁から消防局へ通じる国道34号ににグリーンベルトが設けられる
  小浜町青年部がインゲンの抑制栽培を開始。80a
  ●●●町の長大付属病院外来診療所を坂本町に移転
  伊良林小学校が59クラス、生徒数3277人のマンモス校に
  抑制インゲンの栽培が小浜農協の青年部により始まる
     長崎県のインゲンマメの作型は抑制栽培が主体
  1915(大正04)長崎生まれの川下正男が長崎ビル1階名店街にみやげ品店「出島」を開店
     1966(昭和41)次兄川下勇男と南山手観光株式会社を設立
     1968(昭和43)長崎ビル2階に合名会社出島をオープン
     民芸工芸品、三彩焼、博多織、博多人形、一般土産品等の販売
  多田英雄が雲仙に旅館普賢荘を開業
     1965(昭和40)08/江星館に改名
     1968(昭和43)鉄筋5階建の新館を落成。ホテル山水と改称
  先祖代々小浜に住む1905(明治38)生まれの林田末三が小浜に旅館浜荘を創業
     それまで雲仙の本多新次郎が満州から引き揚げ製塩業を営んでいた場所を林田末三が譲り受ける
  丸山の一等地にある遊廓、梅鶯楼が、売春禁止法により旅館、公楽荘として新スタート
  長崎駅前の旅館新成館[旧太田屋旅館・1925(大正14)創業]が樺島町に移転
  若松市〜戸畑市に全長680.2米、中央径間367米の吊橋若戸大橋が開通
  南高来郡布津村出身の池田平が寄合町で旅館二鶴をはじめる
     池田平は1930(昭和05)、東京で長崎タクシーを経営。のち東京から引き揚げ丸山に住む
  出島の税関前で旅館を営んでいた伊藤はるえが石灰町で寿荘を経営
     のち寿荘は1年余りでやめる。税関前の旅館を拡張、はるみ荘を営む
     1964(昭和39)麹屋町に鉄筋4階建(屋上展望、ガーデン)を新築移転。屋号を旅館はるみに
     移転先が麹屋町に決まるまで6年、中心部に近く便利で閑静な場所を物色
     公会堂に近く中島川畔の条件は常連客が大半を占めるはるみ荘にぴったりに
  雲仙娯楽館が老朽化のため撤去

1959(昭和34)【昭和】 己亥(つちのとい)

  《総理大臣》[第57代]第2次岸信介内閣
  《知事》[第42代(公選4代)]佐藤勝也
  《市長》[第19代]田川務(→05/01)、[第20代]田川務(05/02→)

  01/01「長崎放送[NBC(英文正式社名・Nagasaki Broadcasting Corp.)]」がテレビの本放送を開始
     1962(昭和37)10/23新放送会館が落成。桜町の旧長崎商工会議所から移転
     新長崎放送会館は小川町28番地(現上町1番35号)
     総工費4億8千万円、敷地面積1648平方米、鉄骨建て地下1階、地上8階、塔屋2階、総延べ面積6610平方米
     1966(昭和41)12/21テレビのカラー放送を開始
  01/01土地・建物の表記を除きメートル法が完全実施
  01/02ソ連がロケット「ルーニック1号」を打ち上げ
     第2宇宙速度の秒速11.2粁を超え、月から6500粁の地点を通過太陽の周囲をまわる軌道に入る
     のち地上初の人工衛星となる
  01/15長崎県営バスの富津線が運行を開始
  01/15長崎日日新聞社の「長崎日日新聞」と新長崎民友新聞社の「長崎民友新聞」が合併
     朝・夕(長崎市内のみ)刊の長崎新聞社が新発足。「長崎新聞」と改題。社長市川謙一郎
     従来の6頁建て朝刊のほかに4頁建て夕刊(長崎市内のみ)を発刊
     合併は佐藤知事、水頭県議会議長、中部会議所会頭の斡旋による
     1961(昭和36)01/22長崎新聞社の新社屋が出島の民友新聞跡地に完成。鉄筋コンクリート造3階建
     1968(昭和43)08/01「長崎時事新聞(旧軍港新聞、旧佐世保時事新聞、旧九州時事新聞)」と合併
     名実ともに長崎県唯一の県紙に
     1980(昭和55)11/24出島の社屋を史跡復元事業に協力、茂里町の三菱長崎製鋼所跡地の現在地に移転
     1980(昭和55)12/「長崎新聞」の本社が出島町から茂里町に新築移転
     鉛活字からコンピュータ化された写真植字とし、凸版印刷からオフセット高速輪転機による印刷方法に
     1981(昭和56)08/11長崎新聞社の屋上に救難、救急活動の拠点としてヘリポートがオープン
     1993(平成05)06/夕刊発行を休刊とし、朝刊を充実
  01/15西彼杵郡村松村の一部が時津町に編入される
     西彼杵郡長浦村と村松村の一部が合併し琴海村となる
     1960(昭和35)05/03西彼杵郡外海村に町制が敷かれ外海町となる
  01/26東京都が日比谷と丸の内に我が国初の路上駐車場を設ける
     公共駐車場としては初のパーキングメーターを設置となる。1283台分
     料金は駐車15分につき10円
  02/04長崎市の観光映画「長崎の印象」が完成。16ミリカラー
     1960(昭和35)観光映画コンクールで最優秀賞を受賞
  02/10築町20番地先〜本石灰町1番地先の延長0.6744粁、通称・春雨通りを市道第294号線と認定
  02/20島原鉄道がダイヤ改正
     長崎乗入れ2輌編成の1輌を30分前に先行、各駅停車で途中駅からの利用者の要望に応じる
     1960(昭和35)国鉄の準急(のち急行化)に併結して博多駅までの直通運転を開始
  02/合名会社石丸文行堂が万屋町95・96番地の土地を購入裏通りまで拡張
     1959(昭和34)09/合名組織を株式会社に変更
  03/01五島航路で船舶公衆電話が本実施となる
  03/01フジテレビ系列のトーク番組「スター千一夜」がはじまる
     第1回のゲストは長門裕之、津川雅彦兄弟
     フジテレビの毎日の顔的存在な放送時間時間帯で番組にステータスがあり「これに出れば一人前」とも
     1981(昭和56)09/25最終回。放送回数は6417回
     最終回のゲストは美空ひばり
  03/05長崎県営バスの木場線が運行を開始
  03/15週刊「朝日ジャーナル」が創刊。定価40円、発行部数は37万部。初代編集長は朝日新聞大阪本社の論説委員・和田斉
     発行元の朝日新聞社にとっては「週刊朝日」「アサヒグラフ」に次ぐ第3の週刊誌
  03/17小学館から「週刊少年サンデー」が、講談社から「週刊少年マガジン」がそれぞれ創刊
     4月5日号「サンデー」の表紙は長嶋茂雄で1冊30円。創刊記念フロクはプロ野球オール・スター集
     3月26日号「マガジン」の表紙は大関朝汐で1冊40円。特集は大ずもう春場所。ふろくは天兵童子、新吾十番勝負、西鉄稲尾選手物語
  03/18長崎初のスーパーマーケット「大和ストア」が久留米より観光通りに進出、開店
  03/20長崎県営バスの雲仙営業所改築完成
     1963(昭和38)05/30小浜町より雲仙営業所車庫用地として2250.44平方米を買収
  03/21中新町133-17に曙公園(515.7平方米)が開設
  03/31上野町2400に上野公園(848平方米)が、宝栄町2400に鎮西公園(7791.96平方米)が開設
  03/伊勢町の長崎聖堂(中島聖堂)内の大学門と規模を縮小した大成殿が興福寺の境内に移築復元
  04/01長崎国際文化センター事業の一環で宿町3番地に東洋一の文部省指定博物館相当施設の長崎水族館が開館
     風光の地、矢上の岸に9万9千平方米の敷地を占め3階建の本館には70個の水槽に世界の魚族が泳ぐ
     屋外にはペンギン館のほか、アシカプール、海亀プールなどがあり、名実ともに東洋一の設備をそなえる
     国内外の水中に棲む動物440種、6600点を展示
     1998(平成10)03/31閉館
     2001(平成13)04/22「長崎ペンギン水族館」としてリニューアル開館
  04/10皇太子明仁親王と正田美智子さんが御成婚。皇太子御成婚パレードがテレビで生中継される
     沿道には2人の姿を一目みたいと熱狂的な53万人もの群集が押しかける。日本中がフィーバーしお祭り騒ぎに
  04/10佐藤製薬のキャラクターにが登場
     熱狂的な国民的慶事の皇太子ご成婚を記念して
     制作は童話作家の飯沢匡と「ブーフーウー」の人形を担当した土方重巳
     動物園でいちばんの人気もので、健康で長生きする点が製薬会社にピッタリのゾウが選ばれる
     はじめは「子象」と呼ばれる
     のち新聞・テレビを利用した大キャンペーンで名前を一般公募
     4万4600通のなかから「サトちゃん」が選ばれる
  04/大洋漁業株式会社長崎支社を旭町から水産会館5階に移転
     1962(昭和37)05/漁港冷凍工場を増設
  04/長崎外国語短期大学が本大工町から泉町に移転
  04/旅館矢太樓が鉄筋コンクリートに増設6階建て、客室15室を増設
     1960(昭和35)10/株式会社矢太樓に社名変更
  05/01長崎市立小学校児童数が5万2067人に。前年比2.6%増
     1960(昭和35)04/07市立中学校15校の新入学生徒数8086人に
     これまでの小学校児童数の激増現象が中学校に移行
  05/01東彼杵郡彼杵町と千綿村が合併し東彼杵町となる
     1963(昭和38)07/01東彼杵郡東彼杵町一部が大村市に編入される
  05/03西彼杵郡外海村に町制が敷かれ外海町となる
     1961(昭和36)06/29西彼杵郡亀岳村と大串村が合併し西彼村となる
  05/11春雨通りの仮設店舗112戸の取り壊し作業が開始される
     06/18作業が完了
  05/20長崎原爆病院が開院1周年。患者を収容できず早くも増築を迫られる
     1961(昭和36)02/01本館増築工事が完成。病床数102床を311床に増やす・工費1億1000万円
  06/01ヤンマーディーゼル提供の天気予報にヤン坊・マー坊が登場
     06/01は1942(昭和17)に制定された気象記念日
     優等生の兄・ヤン坊とやんちゃな弟・マー坊の双子
     ヤンマー商品の使用は農業、漁業、建設業に従事する人が多く、翌日の段取りに天気予報はかかせない
     しかも家族で楽しめるようにと子どもたちが親しめる年代のヤン坊マー坊を主人公として登場させる
  06/07長崎県営バス島原港ターミナルビルが完成
     長崎県営バス島原営業所はターミナルビル内に移転
     2005(平成17)03/31長崎県営バス島原出張所が閉所
     2005(平成17)11/30雲仙〜島原大手(島原駅前)から撤退し、島原出張所廃止
  06/25後楽園球場で巨人・阪神戦の「伝統の一戦」が天覧試合として催される
     昭和天皇皇后が後楽園球場のバックネット裏貴賓席に来場し、19時より試合開始
     模様は日本テレビ(解説=南村侑広、実況=越智正典)とNHKテレビ(解説=小西得郎、実況=志村正順)で全国生中継
     天皇皇后が野球観戦できる21時15分の3分前
     4対4の同点で迎えた9回裏、先頭バッターの長嶋がレフトポール際に入るサヨナラ本塁打で接戦に終止符を打つ
     天皇皇后は試合結果を見届けることができ球場をあとにする
  06/29長崎バス(株)が九州初の完全冷房バスを導入
     1982(昭和57)07/全国で一番早く路線バス車両100%の完全冷房化を完了
  06/原爆による補修修理と共に県側の要請により西浜町の「精洋亭」を改装
     階下をレストラン、2階を18室25人収容の洋式ホテル「精洋亭ホテル」として業務開始
     1960(昭和35)08/外浦町の長崎観光ホテル(七條達夫経営)を買収。新ホテル建設決定
  07/05ラジオ東京(KRTV、現TBS)で放送した国産初のテレビ映画「月光仮面」が最終回を迎える。全5部全130回
  07/07県営バスに完全冷房バスが登場
  07/1531歳のチェ・ゲバラがキューバの使節団を引き連れて日本に訪れる
     07/23午前中、愛知県のトヨタ自動車工場のトラックやジープ型4輪駆動車の製造ラインを見学
     午後、新三菱重工の飛行機製作現場を訪れる
     07/24久保田鉄工堺工場で農業機械の製作を見学。実際に農業機械を動かしてみる
     のち丸紅、鐘紡とまわり、夕方に大阪商工会議所主催のパーティーに出席
     通商のために帝国ホテルで池田勇人通産相に15分間の会談を行なう
     ソニーのトランジスタ研究所や映画撮影所、肥料工場などをまわる
     07/24大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くないことを知る
     07/25神戸の川崎造船所を視察した後、予定を変更
     オマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使をともない全日空機で岩国空港へ
     広島県庁職員案内のもと、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れる
     中国新聞の記者であった林立雄が単独取材
     「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」とゲバラ
     ゲバラが広島の状況をキューバに伝えて以来、初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげるようになる
     のち日本各地を視察
     07/27日本を発つ。インドネシア、パキスタン、スーダン、ユーゴスラビア、ガーナ、モロッコを歴訪
  07/21長崎〜東京の客車特急「平和」を「さくら」に改称。完全冷暖房の20系固定編成客車に置き換え
     所要20時間。「さくら」の愛称は9か月ぶりに復活
     1961(昭和36)10/01列車番号が5レ・6レからトップナンバーの1レ・2レに
     1965(昭和40)10/01肥前山口で分割、長崎・佐世保〜東京の運転に
     2000(平成12)03/11佐世保発着が廃止、寝台特急「はやぶさ」との併結運転となる
     「さくら」は43レ・44レに
     2005(平成17)02/28飛行機や新幹線など競合する交通機関の発達で「さくら」の利用客が減少。廃止となる
     出発を前に長崎4番線ホームではJR九州や行政関係者、ファンら約800人が集まってセレモニーが開催
     16時50分、「はやぶさ」との連名ではなく、「さくら」オリジナルのヘッドマークを付け東京へ旅立つ
     この日を最後に長崎駅の行き先案内板からは「さくら」とともに“東京”行きの文字が消る
       特急「櫻」は1929(昭和04)09/15「富士」「燕」とともに、初の愛称特急として下関〜東京にスタート
       紆余曲折の後「さくら」は不定期特急として大阪〜東京を走行
       1958(昭和33)10/廃止
  07/22上西山町1-1他に長崎公園(2万9041.12平方米)が開設
  07/雲仙に国民宿舎青雲荘がオープン
  08/08海外移住促進週間。1952(昭和27)以降、長崎市から30家族154人が南米諸国に移住
  09/22佐世保〜博多に気動車準急「弓張」が誕生
     1966(昭和41)03/05気動車急行「弓張」に格上げ
  09/26伊勢湾台風が襲来。死者行方不明5101人【5041人?、5200余人?】
  09/合名会社石丸文行堂の組織を株式会社に変更。株式会社石丸文行堂に
  09/ドル為替が自由化となる
  09/築町(現銅座町)の市設卸売青果市場を尾上町の長崎魚市跡に改築移転
     1976(昭和51)旭大橋建設のため田中町に移転
  10/04淵神社〜稲佐山頂上(1096.55米、所要時間5分)に長崎ロープウエイが開通
     ゴンドラ2台で運行開始。工費1億2千万円
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (3)…丸山町(本踊)、東中町(本踊・樽神輿)、油屋町(本踊)、
     鍛冶屋町(宝船・七福神)、下筑後町(本踊)、新豊後町(本踊)
     *出場辞退…今籠町、西中町、本下町、外浦町、万才町
     *新町と豊後町で新豊後町に
     出場辞退や合同町が多くなり踊り町再編成の機運が高まる
     長坂に呂紅の白法被を着る人たちが出現。数年後、白ドッポと呼ばれる
  10/07ソ連の無人月探査機ルナ3号が世界で初めて月の裏側の撮影に成功
     月の自転と地球の公転が同期で常に同じ面を向けているため、地球上から月の裏側を見ることは不可能
     40分間以上にわたり月の裏側の約70%を29枚の連続画像に収め、17枚が地球に電送される
     電送された写真は非常に不鮮明ながらもコンピュータ処理で現像され、表側とは非常に異なっていることが判明
     画像から月の裏側に2つの暗い地域が発見され「モスクワの海」と「夢の海」と命名される
  10/長崎しにせ会が発足
     長崎市制施行70周年記念にあやかり、当時「70年以上の伝統を持つ」長崎市内の老舗が集まる
     永年培った「のれん」に対し、各々の信用と職域を通じ、連合してその名声を高めるために結束
  11/01原爆被災以前の天主堂をモデルに鉄筋コンクリート造りの浦上天主堂が再建。献堂式が行なわれる
     受難に耐えた信徒の歴史を物語る同じ場所に再建する事が意義あるものとし新聖堂が建立
     床面積1679平方米、塔高29米。献堂式が行なわれる
     双塔にあったフランス製の聖鐘の原爆でも壊れずに残ったひとつが、新天主堂の右側の塔につるされる
     1962(昭和37)特別な聖堂として大浦天主堂に代わり司教座聖堂(Cathedral)に指定される
     1980(昭和55)04/ローマ法王の訪日要請を契機に、今までの不足を補って鉄筋による改装工事が着工
     外装を赤レンガ造りに、窓をすべてステンドグラスに
     1980(昭和55)10/崩壊前と同じ赤煉瓦造りの御堂が蘇る
     1996(平成08)聖堂2階に英国製パイプオルガンを設置
  11/05浦上川の竹の久保町〜岩川町に架かる竹岩橋が全面的に架け替えられる。長さ46米、幅員8.6米
     1976(昭和51)11/改修される
  11/07雲仙に全国で7番目、九州ではトップを切って県営の国民宿舎「有隣荘」が建つ
     支配人の家入一公は1919(大正08)生まれ、長崎中学・明大卒。1947(昭和22)県庁へ
  11/26県警本部が県下でカミナリ族、マッハ族の厳重取締を指示
  12/03東京陸運局がタクシー、ハイヤーの個人営業希望者6364人のうち173人に第1次免許を与える
     個人タクシーの登場は戦後初めて。年齢構成は平均47.4才、最高59歳で9割は現職運転手
  12/23長崎市議会が競輪事業の廃止に関する決議案を可決
  12/27第1回日本レコード大賞が東京の文京公会堂で開催。各賞が決定
     日本レコード大賞は水原弘「黒い花びら」
     歌唱賞はフランク永井「夜霧に消えたチャコ」
     作曲賞は渡久地政信「夜霧に消えたチャコ」(歌・フランク永井)
     作詩賞はサトウハチロー「フルート」(歌・島倉千代子)
     童謡賞は「やさしい和尚さん」(歌・石井亀次郎とキングホウズキ会)
     レコード大賞は最初で知名度が余りなく、中村八大は「お客さんが、ほとんどいなかったんですよ」
     大賞を受賞した水原弘は「レコード大賞? なんだ、それ」
  12/町界町名変更により「長崎くんち」の踊町組合せを改正
  12/全国観光土産品連盟長崎支部が結成される
  岩戸景気
  長崎くんち振興会が結成
  新大工公設市場が開設
  南山小学校が開校
  飽の浦教会が戦時中の被弾や老朽化により新聖堂を落成
  ヒルバート・ウイゼン神父によって南山小学校の敷地内に西町カトリック教会が建つ
     建物は鉄骨吊屋根構造の扇形の近代建築物
  原爆で倒壊した悟真寺の本堂が再建
  長崎の市街地にレストラン「ハルビン」が開店
     南山手22番地に住むクリスティーナ・シェルビニナがロシアの料理法を伝授
  ビクターのLP「夜の詩集」に「島原の子守唄」が森繁久弥の歌で収録される
     採譜は島原鉄道に勤務する宮崎康平、編曲古関裕而
     1960(昭和35)01/キングからペギー葉山の歌により「島原地方の子守唄(EB267、BS1254)」のタイトルで発売
     全国に知れ渡る
  全国博物館大会が長崎市内で開かれる。県内での開催は初めて
     2006(平成18)11/16博物館の運営をテーマにした第54回全国博物館大会が長崎市民会館で開催
     主催は財団法人日本博物館協会(県内にある50館以上のうち、39館が加盟)。全国から約150館、400人が参加
     公共施設の管理運営を民間が代行する指定管理者制度の導入が進む中、運営の物差しとなる共通の評価指標づくりについて議論
     開会式で日本博物館協会(1185施設)の竹内誠会長があいさつ。記念講演はマーク・テイラー英国博物館協会理事長
  口之津町の古野電気株式会社が我が国で初めて超小型レーダーを開発
     水中翼船や各種小型船へのレーダー装備を可能にしレーダーの普及と安全航行に貢献
     1961(昭和36)資本金を1億2千万円に増資。兵庫県西宮市に本社移転
  政府登録ホテルとなった雲仙の有明ホテルが鉄筋4階建の新館を増設
     1965(昭和40)株式会社有明ホテルとなる
  小浜に旅館福徳屋を創業した初代本多健蔵が引退
     3代目の本多洋己[1936(昭和11)生まれ、口加高校卒]が引き継ぐ
     2代目はビルマで戦死
     1967(昭和42)11/増築。モーターボートを設備
  池島鉱の営業出炭が開始
     1959(昭和34)大島鉱が合理化。池島への人員転換で労使交渉妥結
  大島鉱が合理化。池島への人員転換で労使交渉妥結
     1967(昭和42)池島に火力発電所と海水淡水化装置が完成
  藤田安市が死去。藤田チェリー豆が2つに割れる
     安市の長男昌之が突然、藤田チェリー豆本舗と称して高島町に独立
     藤田貞行と貞行の長男実は藤田チェリー豆総本店に社名を変える
      もともとは藤田貞行が大正時代半ばに藤田チェリー豆を創業、のち弟の藤田安市を呼び寄せ兄弟が協力して経営
  清月堂が稲垣屋を借りてカステラ業界に進出。220円のカステラを売り名を知られる
     清月堂は唐人せんべいや名所せんべいで知られる
  大阪発行の「産業経済新聞」が「産経新聞」に改題。東西で異っていた題号が「産経新聞」に統一される
     1969(昭和44)05/題号を「サンケイ新聞」に改題
  東彼杵郡波佐見町にて陶磁器イベント「波佐見陶器まつり」が初めて開催される
     皇太子の成婚を記念して開催
  外浦町、県庁前の長崎観光ホテルの創業者、七条達馬が死去
     息子の七条達夫が雲仙の九州ホテルとかけ持ちで経営
     1960(昭和35)08/西浜町の精洋亭ホテルと合併。外浦町にて長崎グランドホテルとなる

1960(昭和35)【昭和】 庚子(かのえね)

 次のページへ


鎌倉以前 室  町 安土桃山
(1)
安土桃山
(2)
江戸(1) 江戸(2) 江戸(3) 江戸(4) 江戸(5)
江戸(6) 江戸(7) 江戸(8) 江戸(9) 江戸(10) 江戸(11) 江戸(12) 江戸(13) 江戸(14)
江戸(15) 江戸(16) 江戸(17) 江戸(18) 明治(1) 明治(2) 明治(3) 明治(4) 明治(5)
明治(6) 明治(7) 明治(8) 明治(9) 明治(10) 大正(1) 大正(2) 大正(3) 昭和(1)
昭和(2) 昭和(3) 昭和(4) 昭和(5) 昭和(6) ・昭和(7) 昭和(8) 昭和(9) 昭和(10)
昭和(11) 昭和(12) 昭和(13) 昭和(14) 昭和(15) 昭和(16) 昭和(17) 昭和(18) 昭和(19)
・昭和(20) 昭和(21) 昭和(22) 平成(1) 平成(2) 平成(3) 平成(4) 平成(5) (表 紙)

「長崎年表」は編集著作権で保護されます
(c) 2003-2013 makuramoto all right reserved.